地元・米沢に密着した本屋さんです
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店長日記:61
2009年07月20日
 米沢の温泉地。

 「小野川温泉」にある「小野川スキー場」に
行ってまいりました。

 先月末から、スキー場に巨大な【愛】が出現している
のは知っていたんです。

 でも、夏の夜は雨が多くて・・・。

 ようやく見に行くことが出来ました。

 米沢工業高校専攻科の生徒さんと、市内の企業3社で
企画・協力・設置したのだそうです

 とてもわかりにくい画像ですが、実物は、とても綺麗です。

 かなり山を登って(登山再び・・・)撮影したんですけどねぇ。
これが限界でした(汗)

 スキー場付近はとても暗く、まさに【愛】が浮かび上がって
いるような幻想的な風景でしたよ?
 
 知らないで通ったら、びっくりして危ないかも・・・。

 その後、温泉地の足湯へ。

 蚊にさされまくってしまいましたが、気持ちよかったです。

 今月いっぱい点灯されます。夜10:00まで。

 まだご覧になってない方、オススメです。
2009年07月13日
 シリーズ第4弾は、

 『龍師火帝(りょうしかてい)の碑』です。

 これは、前回ご紹介した「猿尾堰」の工事の際、
洪水や旱魃(かんばつ)から、広く人々の暮らしが守られるよう、
水の神【龍師】と、火の神【火帝】の加護を願い建立されたのだそうです。

 例のせっまい道をずっと進むと、駐車場があったので、そこに車を止めて
見物に行きましたが、ちょっとした恐怖体験をしてきました。

 この石碑の脇にお賽銭箱があったので、お賽銭を入れようと近づいたら、

    ぶ~~~~ん・・・・・・・・

 キャーーーー!!!ハチーーー!!

 しかも、賽銭箱の中にいるーーー!!

 結構いっぱいいるーーーーー!!

 
 まあ、お賽銭も投げ込みましたし、お参りもしたんですけどね?

 写真も撮って車に戻ると、今度はドアの回りに

   ぶ~~~ん・・・・・・

 だから、ハチーーーー!

 隙を見て乗り込み、ダッシュで逃げ帰ってまいりました。

 皆様、ぜひ白っぽい服でお出かけ下さいませ。
2009年07月11日
 直江石提シリーズ・第3弾です。

 今回は、
 「猿尾堰(さるおぜき)」。

 石提公園から、南西の方向へ4キロ程行った、李山(すももやま)
地内にありました。
 
 ガイドさんが言ってた通りで、

 「道 せまっ!!!」

 普通車がやっとでした。対向車がきちゃったら、
バックで戻るしかないくらい・・・。
(私の腕では田んぼに落ちる!)

 実はあの辺りには、たくさんの堰が存在するんですね。
ぶっちゃけ「猿尾堰?」「なにそれ?」の世界でした。

 「猿尾堰」は松川の水を分水し、掘立川を通って南原地区の
生活用水などに用いるための、大切な堰だったのだそうです。
 
 掘立川は、米沢城西側の外堀の役目もしていましたから、
とても重要なものだったのですね。

 それにしても、さすが上流。
 水がキレイ!
 
 ところで、どれが「猿尾堰?」

 ????

 「猿尾堰橋」というのがあったので、それを写真に
おさめました(汗)

 たぶん、橋の向こう側にうっすら写ってるのが
「猿尾堰」だと思います(大汗)

 次回は同じ場所にあった「龍師火帝の碑」をご紹介しま~す。
 
2009年07月07日
 前回は、海老ヶ沢の北側の公園をご紹介しましたので、
今回は南側を・・・。

 こちら側には、蛇のように小川が公園の中を流れていて、
なかなか涼しげでいい感じ!
 暑い日だったので、子どもたちがたくさん水遊びをしていました。

   はっ!!!

 堤防作ってる!!
 写真撮っちゃえ!
ということであわてて隠し撮りした画像です。
(載せてもいいのかなぁ?)
 
 子どもたちが楽しそうに石を積み上げて、小さな石提を作っていました。

    さすが米沢人!

 でも・・・

 その場所に作ったら、上流氾濫しちゃうんじゃぁ・・・・・・(汗) 

 堤防は氾濫を防ぐためのものですよ?
 
 


2009年07月06日
 常連のお客様、I様から日記のネタをいただきました。
 
 【直江石提】です。

 実は、これの存在忘れていました。
「直江兼続」を語るのに、はずしちゃいけない史跡だったのに・・・。

 「谷地河原堤防」が正式名称なのですね。
知りませんでした(汗)
 
 この堤防は、慶長6年(1601年)に【上杉景勝】の米沢移封後、
『直江兼続』の、町づくりとともに力を注いだ、治水事業の一環として
整備されました。

 谷地河原は川底が浅く、流れが急で一度氾濫すると、市街地まで
被害がでたそうです。それで、当時の土木技術の酔を集結して築堤
されたのだとか。

 これによって、米沢城下の水害が防止され、城下拡張が可能になり
近世米沢の原型が形成されました。

 守られ続けているなぁと思いながら、眺めてまいりました。

 写真の石碑は、海老ヶ沢大橋の北側にある公園のなかにあります。
奥に写っているのが堤防です。
一番綺麗に(草とかに埋もれていないという意味で)
堤防が見える場所のようでした。

 公園に観光に来ていたガイドさんが、観光客の方に「『猿尾堰』とか『龍師火帝の碑』
とかあるんだけど、大型車では入れないんですよ~」と話しているのを耳にしました。

 なんだそれっ!!知らないぞっ!!!!

 ということで、しばらく「直江石提」シリーズ続きま~す。

 

2009年06月18日
 上杉家の菩提寺【法音寺】へ行って参りました。
 
 6月1日から、法音寺所有の宝物展を拝見してきたのですが、
見ごたえのあるものは、《泥足毘沙門天尊》くらいで、後は
伝国の杜とかに行っちゃってるんじゃぁ?とぶっちゃけあまり
期待してなかったんです。

 猛反省いたしました!!!

 見ごたえありました~!!
 《上杉景勝》直筆の遺言状やら、室町時代に描かれたという
曼荼羅図の掛け軸やら、鎌倉時代の仏像やら、あるあるすごいのが!

 法音寺の檀家の方々が、いろいろ説明をして下さったのですが、
特に素敵だなぁと思ったのが、《泥足毘沙門天尊》と日本を代表する
彫刻家・【高村光雲】のお話でした。

 毘沙門天像がおさめられていた「御堂」は火事になり、その時
《泥足毘沙門天尊》は一部破損してしまったそうです。
 その修復を【高村光雲】に依頼したところ、「修復させていただいた」
お礼にと、菩薩像を彫って奉納してくれたのだとか。

 心が洗われるようでした。

 今回は、20日で終わっちゃいますが、秋に(9月14日~10月10日)
また開催されるようです。
 足を運んでみてはいかがでしょうか?


 
2009年06月13日
 本日こんな本が入荷いたしました。

 「前田慶次~ゆかりの里堂森~」

 もっとはやく出してよ!

 この本がもっと早く出ていたら、私、山登らなくても
よかったんじゃぁ・・・。

 しかもかなり詳しく書かれているんです。
謎の多い武将ですが、わかっていることは全部ってくらい!
 (ホームページよりお買い上げいただけまぁす。)

 実際に見てみたかったからいいんですけどね?

 明日は、【上杉御廟所】の菩提寺でもある法音寺の宝物展へ
出かけてきたいと思います。
 写真撮りたいけど無理かなぁ・・・。
 
2009年06月11日
 善光寺シリーズ第5弾です。

 今回は「慶次清水」です。

 善光寺を出て、左の方へ道なりに進んでいくと、「慶次清水」
の立て札がありました。車を降りて農道を歩いていくと(車では入れません)
この、ひっそりとした清水にたどり着きました。

 前田慶次は「無苦庵」で、この清水の水を飲料水として
使用していたそうです。

 400年以上枯れることなく、湧き水を提供してくれているこの清水の
傍らには、水神様が祀られていました。

 現在でも、周辺地域の方々の農業用水として、この清水の水が使われています。

 農道の目の前にあるおうちの方が、駐車場を提供して下さっています。
(慶次の会の方だと思います)
 野球場側からも行くことができるのですが、とてもあたたかい物を感じ、
あえてそちらの駐車場を利用させていただいた所、その家のおばあさんが、
丁寧に清水の場所を教えてくださいました。

 400年たっても、前田慶次は愛されているんだなぁと感じた一時でした。



2009年06月08日
 善光寺シリーズ第4弾です。

 今回は【比丘尼平】について少し。

 善光寺の見返り阿弥陀像には、善光寺を中興された
益王姫(ますおうひめ)という方の伝説があるのだそうです。

 「長田庄司忠次」という人が、「源頼朝」との戦いに敗れた時、
妹である益王姫は尼(比丘尼)になり、家に伝わる阿弥陀像を背負って、
逃れたのだとか・・・。

 出羽国までたどり着いた時に、追っ手に見つかってしまいますが、
背中の阿弥陀像が突然振り返り、敵を倒してくれたのだそうです。

 振り返った姿になった阿弥陀像を祀った場所が、善光寺なのだとか。

 写真は、益王姫が庵を結んだとされる、【比丘尼平】です。

 【月見平】よりもさらに奥へと進んでいくと(今度は山を少し下ります)、
この場所へ行くことができます。

 女の人が一人?で暮らすには、あまりにも狭くて、寂しいところだなぁ
と思いました。

 それにしても、善光寺はほんとに古いお寺なんですねぇ。
頼朝って、鎌倉時代だよ?900年以上前の事なんて、想像もつきません。

 歴史的な出来事は本を読めば解りますが、普通の人がどのような暮らしを
していたのか、調べてみたいですね。

 次回は慶次清水あたりを・・・。
2009年06月03日
 今回から、善光寺シリーズにもどる予定でしたが、
お隣の福島県の方が、「こんなのもあるのよ!!」
と、ご自分がお持ちの分の外に、わざわざうち用に1セット
手に入れて、送って下さいました。
 
 「CR花の慶次~斬~」のプロモーションガイドです。
 
 中を開くと目に飛び込んでくる、超美麗なイラストが!!
お見せできないのが残念です。

 草食系男子たち!慶次とまではいかなくても、
もう少したくましくなろうぜ!!!

 ここで疑問がひとつ。
 このガイドは、導入支援~稼動促進のプロモガイドらしいのです。
どうやって手に入れたんだろう・・・・・・?

 もしや、ホール関係者!?
 
 だとしたら、ここに乗せるのまずくないかしら?
2009年06月02日
 事務のお姉さまから、画像が届きました。

 ・・・・・・・・・これは~~~、チキンのおいしいあのお店の、
あのおじ様ですよね?

 いつものスーツはどうした?
 ダンディなお姿はどこへ行ったの?
 メガネははずさないのか?
 っていうか、この甲冑つくったのか?すげえ!!

 笑っちゃう前にさまざまなツッコミが頭をよぎりました。
 大笑いしましたけどね。

 全国どこを探しても、甲冑着てるカー○ルおじさんはいないだろうな・・・。

 見に行かねば!!!


 次回からはまた、善光寺シリーズにもどりますよ~。
 
 
 
 

2009年05月26日
善光寺シリーズ第3弾です。
今回は、「月見平」です。
 善光寺の後ろにある山を登りましょう。
前回、雨で登れなかった山に登ってまいりました。
 山の道は舗装などされておらず、わりと急勾配。
軽い登山気分を味わいながら、山のてっぺんまで登っていくと、
ひょうたん型の平地にたどり着きます。そして、素敵な田園風景が
目に飛び込んできました。
 「月見平」は慶次が里人や、友人たちを招いて
月見等を楽しんだとされる場所です。きっと「直江兼続」も幾度と無く
訪れたことでしょう。
 中央に、山の神様を祀る祠がありました。(写真はその祠です)。
江戸から続く祠だそうですよ。
 この祠が真ん中にあるということは、庵とかむすんで月見したわけじゃ
ないのかな?(そんなに広い場所では無かったので)とか、月の綺麗な夜に
来て見たいなとか、夜この山登ったら確実に落ちるし、月見じゃなくて肝試し
になっちゃうな・・・とか考えながら、
しばらく風景を楽しみました。
 次回は比丘尼平かな・・・。
 
 
 



 
 
2009年05月25日
善光寺シリーズ第2弾です。
 今回は「前田慶次の力石」です。
 善光寺の門から、見返り阿弥陀堂へと向かう参道の途中に
フツーにありました。案内の立て札が無ければ、絶対に見落として
いました。
 この「力石」は、慶次が里人と力比べをしたときに使った石と
言われています。
 70、80kg位ありそうな石でした。
 前田慶次が米沢へやってきた時、
「人生50年」といわれていた時代では、結構なお年だったはずなのです。
普段から相当鍛えていないと、70kgはむりだよなぁ~などと思いながら、
写真におさめました。
 その石の上に、無造作にお賽銭が置いてあって、
平和だなぁと、ほのぼのしてしまいました。
 触れますが、持ち上げるのは禁止らしいです。
 訪れた方、触ってみてはいかがでしょう?
 力持ちになれるかも・・・。
2009年05月22日
 万世は、堂森にある「善光寺」へ行って参りました。
 米沢に生まれ、米沢で育ったのに(結構長い時間)、
こちらへ赴いたのは初めて。とても大きなお寺で驚きました。
 1200年以上の歴史があるのだそうです。
 今や、直江兼続の人気を凌ぐ武将「前田慶次郎」の
「供養塔」や「力石」等、所縁の物がたくさんありました。
 写真の「前田慶次 供養塔」は、本堂と阿弥陀堂の間にあり、
もともとは石碑?だけだったものに、後からお堂を建立した
らしいです。
 お堂の後ろには小高い山があって、そちらにはたくさんの
お墓が・・・。登ろうにも当日は雨。私はおしゃれ靴・・・・・・。
無理だ!!この日は山登りをあきらめました。
後日リベンジいたします。見ごたえのある史跡がまだまだ
あったのに・・・・。
 「善光寺」は別名「あじさい寺」とも呼ばれています。
 「前田慶次郎」にふさわしい風流な名前ですね。
 しばらく「善光寺」シリーズ続きます。
 次は「慶次の力石」かな?
 
 
 
 
 
 
2009年05月14日
 13日と14日の2日間、
 「前田慶次 道中日記」へのお問い合わせが
ものすごいことになっております。
 13日のYAHOOのトピックスに載ったとか?
遅ればせながら、14日に見ました。ずいぶんと詳しく
掲載されていて驚きました。
 「前田 慶次郎」といえば、「かぶき者」。
 秀吉から、「傾奇御免」の許しを得たなど、その破天荒な
人柄で有名ですが、すばらしい文化人でもあったのですよねぇ。
 あらためて、昔の人ってすごいなぁと思いました。
 まさに「文武両道」ですね!

 米沢所縁の人物にこれ程の興味と関心を持っていただける
日がこようとは・・・!!嬉しくてたまりません。

 皆様、本当にありがとうございます。

 まだ、お手元にお持ちで無い方。
 これを機会に1冊いかが?

 
2009年05月08日
 先日なかなか興味深いお話を聞きました。
 皆様、城下町の入り口ってご存知ですか?
 城下町として統治していた範囲は入り口が「クランク」
になっているのだそうです。そして、東西南北の守りとして必ず
お寺を建立しているのだとか・・・。
 考えてみると、お寺の地図記号は「卍」ですよね?その辺りから
来ているのかな?と感心してしまいました。
 「米沢市」の城下の入り口。どこにあると思いますか?
 歴史的根拠に基づいた訳ではないので、正確ではないかもしれませんが、
北と南は見つけました。「北部小学校付近のクランク」と
「南駅付近のクランク」ではないかと・・・。
 西と東がまだ見つかりません。
 ご存知の方いらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さいませ。
  

2009年05月04日
そしてこの写真が問題の写真です。
 伝国の杜での、お屋形様と菊姫様のトークショーも終了し、
米沢駅へとお帰りになると思われる兼続公を目撃しました。
そのあんまりのお姿に、おもわず猛ダッシュしてトラックを追いかけました。
渋滞で車の歩みが遅かったので、なんなく追いつき、無事撮影に
成功いたしました。
 観光客の皆様は意外とスルーな反応。突然猛ダッシュを始めた
私のほうが注目を集めてしまいました。
 こんな後片付け風景を見られるのは、地元民の特権かな?と
思った一幕となりました。
 今年は秋にも川中島の合戦が催されます。しかも夜!!
夜の川中島は初めて!楽しみです。
 皆様、ぜひまた米沢を訪れてくださいませ。
 
 
2009年05月04日
 上杉祭りが終了しました。
昨日は、一日で10万人を越える方々が、米沢を
訪れてくださったとか・・・。
大河ドラマの影響の大きさを感じさせられました。
 3日は、アンテナショップのヘルプに行ってまいりました。
一日中、大変な賑わいとなり、お立ち寄りいただいたお客様には
あらためてお礼を申し上げます。
いろいろな県の方々とお話ができて、これぞ客商売の醍醐味と
楽しく過ごさせていただきました。
 そこで目撃した面白映像をアップしましたのでご覧下さい。
 この写真は、合戦会場までの行列を終え、伝国の杜まで向かう
「直江兼続公」です。普段は駅に鎮座していらっしゃいます。
立派な山車に乗せられ、首を振りながら堂々と練り歩いて行かれました。
店長日記後編へ続く・・・


2009年05月01日
 5月2日、3日は、いよいよ上杉祭りのクライマックス!!
2日の武てい式、私が子供の頃はお天気が雨の時が本当に
多かったものですが。
 軍神上杉謙信が出陣するときも、必ず雨だったそうですね。
 明日の夜はどうでしょうか?たとえ雨だったとしても、
何百年たっても龍神の加護があるんだなぁと、大目にみてやって
下さいませ。
 5月とはいえ、米沢の夜はまだまだ冷え込みます。
皆様暖かい格好でいらしてくださいね。
 私は、地元テレビ局の生放送を見ながら、ちょっと時間差で聞こえてくる
鉄砲の音など楽しみたいと思います。
2009年04月23日
かねたんの好物ご存知ですか?
今更?という方も多数いらっしゃるかと思いますが・・・
では問題!
かねたんの好物を下の3つから選んでね。
1・アップルパイ
2・米沢牛コロッケ
3・鯉のうまに
さてどれでしょう。
正解は、「かねたんのいちにち」に載ってます。
正解したからといって、何かあるわけではありませんが・・・
話のタネにいかがでしょう。
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